
京都府京都市北区に位置する鹿苑寺、通称・金閣寺は、室町幕府三代将軍・足利義満が応永4年(1397年)に造営を開始した山荘・北山殿を母胎とする禅宗寺院。義満の死後、遺言により禅寺として整備され、夢窓国師を開祖として鹿苑寺の名が与えられた。
境内の池畔に建つ舎利殿、いわゆる金閣は高さ12.5メートルの三層楼閣で、二層・三層の外壁には純金箔が贅沢に張り巡らされている。一層は公家文化を象徴する寝殿造り、二層は武家造り、三層は禅宗仏殿造りとそれぞれ異なる建築様式をひとつの建物に凝縮した点は、北山文化の粋を体現している。
屋根頂部には金の鳳凰が飾られ、晴天下では鏡湖池の水面に映る逆さ金閣の美しさが訪れる者を圧倒する。1994年にはユネスコ世界文化遺産に登録され、今日では年間500万人超が訪れる京都を代表する名所となっている。
特に雪の日に金閣が見せる金と白のコントラストは格別で、この景観を目にできるのは京都市内に積雪がある年間わずか数日のみ。一生に一度は見ておくべき光景である。雪が解け始める前の午前中の拝観が最もおすすめ。
アクセスは、京都市バス205系統にて金閣寺道バス停下車、徒歩約3分。地下鉄烏丸線の場合は北大路駅から市バス204系統・M1系統に乗り換え、同バス停で下車する。

めったに出会えない雪の金閣寺。

織部殿、京の都に雪が積もるのは、一冬にほんの数日あるかないかじゃのう。

京都は盆地で冷え込むわりに雪は拍子抜けするほど少ない。この景色が見られるのは年に数える程、下手すれば一度もない年もありますからな。まさに天が気まぐれに用意する一日限定の舞台でございます。

その天の気まぐれに付き合うには、身軽な身分でないとのう。特に今日のような平日じゃと。

雪が積もったからカメラを持って平日に出かけられるのは、ある意味恵まれています。。

経済的には恵まれない身分じゃがのう。

無職と雪の金閣寺、このコラボはまさに一期一会でございます。

欄干の擬宝珠や垂木の一本一本まで純金に覆われている。

擬宝珠も金、垂木も金、手すりの継ぎ目も金、窓枠も金。金が金を呼んで金で締めてございます。これもはや金の哲学ですよ。

ワシは黄金より黒が好きなんじゃが、ここまで金以外を排しておるとこれも侘び寂びと思えるのう。

宗匠、これを見た太閤殿下はどう仰ったでしょうな。

目をまん丸にして、ええのう、ええのう、と仰るじゃろうのう。そしてその場で某に、うちにも作れと命じるじゃろうのう。

黄金の茶室ですな。あれも大概でしたが。しかし義満公と殿下、並べてみると金の趣味だけは見事に一致しておりますな。時代は百年以上違うのに。

金というのはのう、人を引き寄せる魔物じゃ。某はそこから一番遠いところにおりたかったのじゃが、なぜか金好きな方々に囲まれての生涯じゃったのう。

宗匠、それは人徳というものですよ。金好きの殿下が宗匠だけには頭を下げておったのですから。

頭を下げておったのは最初だけじゃったがのう。最後は(ry。

それ以上イケナイ。

豪奢な袈裟をまとった義満像が正面を向いて座している。

望遠レンズで見てみると義満公がおられるのう。

しかも正面向いてしっかり座っておられますよ。金閣の中に御自身の像を置かせるとは、やはりこの方、ただものではありませんな。

自分の建物の中に自分を飾る、か。某にはとてもできん発想じゃのう。

宗匠がやったら怖いですよ。黒い部屋に黒い服を着た利休像が黒楽茶碗を持って座っておるわけですから。黒すぎて見えません。

金閣三層に掲げられた扁額「究竟頂」。金地に墨書きされた力強い三文字。

宗匠、究竟頂とはどういう意味でございますか。

仏教の言葉でのう、金も名誉も権力もすべての執着を手放した、悟りの極みのことじゃ。

この建物、全部金ですよ。

うむ。

金への執着を手放した人間が建てた建物が、全部金ですよ。

うむ。

義満公、悟っておられますかな。

悟っておらんのう。これっぽっちも。

しかしご本人は大真面目に悟りの極みと書いて飾っておられる。

金箔を貼りながら、執着を手放せ、と言うておるわけじゃ。

これはもはや禅問答ですな。金まみれが究竟頂とはいかなる境地か、と。某、考えすぎて頭が痛くなってまいりました。

両翼を広げ長い首をもたげた姿は威風堂々たる金の鳳凰.。

鳳凰というのはのう、天下泰平の世にしか現れぬ霊鳥じゃ。

足から首から羽まで全部金て、義満公いったいどこまでやるんですか。

義満公じゃからのう。

しかもよく見てください、足元だけ雪積もってますよ。頭からつま先まで金なのに足だけ雪のブーツみたいになってます。

寒かろうのう。

雪の日も台風の日も、観光客がわんさか来ても身じろぎひとつせんと。これはもう鳳凰じゃなく、ほぼ天下泰平のための警備員ですよ。

無賃で六百年働かされておるのう。

それを言うたら義満公、完全にブラック経営者ですな。

一層は白壁と黒い木組みの寝殿造りで金箔がなく、二層・三層が純金に輝くという大胆な色の段差。

一層だけ金ではないのう。

そうなんですよ宗匠。一階だけ白壁の寝殿造りで、二階からいきなり金ですよ。これ、途中で予算が下りてきたんですかな。

そんなわけがなかろうのう。義満公に予算切れはない。

せやったら途中で気が変わったんですかな。一階塗り終わって、ちょっと待て、全部金はやりすぎちゃうか、と。

義満公がそんな遠慮をするかのう。

そうですな。あの方に遠慮という概念はなかったです。じゃあ一階はわざと金にしなかったんですよ。全部金にしたら金のありがたみがわからんやろ、と。

それは某の美学に近いのう。引き算、というやつじゃ。

宗匠それは違います。一階を白にしたから二階三階の金がより派手に見えるという、完全に足し算の計算ですよ。義満公、やっぱり金の演出がうまい。

結局金の話に戻るのう。ではそろそろ休憩しようかのう。お茶で。

畳の上に朱塗りの皿と黒い平茶碗が静かに並び、観覧後の一服が整えられている。

ふむ。黒い茶碗じゃのう。

宗匠、目が輝いておりますよ。

黒はよいのう。すべてを呑み込んで静かになる。ところでこの形、随分と平たいのう。某好みとは少し違うが、まあ及第点じゃ。

及第点て、観光地の茶席に採点しに来たんですか宗匠。しかし見てください、お菓子の上に金閣寺が乗っておりますよ。金箔で。


金閣寺を見てきた後で、金閣寺を食べるのかのう。

なんという金閣寺完全攻略コースですよ。見て、撮って、食べる。これが令和の金閣寺の楽しみ方ですな。

某ならばこの菓子、金箔など貼らずに白いままで出すがのう。

それ、金閣寺のお土産として完全にアウトですよ宗匠。誰も買いませんよ。お客さんは金閣寺に来て侘び菓子を求めてはおりません。

侘び寂びを求めるなら、対照的なあの寺じゃのう。

慈照寺、いわゆる銀閣寺ですな。

機会があれば銀閣寺にも行こうぞ。・・・ではそろそろ家路につくかのう。

曇天へと一変した空の下、金閣の輝きは鳴りを潜め、くすんだ黄白色が雪の白と静かに溶け合っている

・・・金が、消えたのう。

消えたのではなく、雪と空に包まれて、静かになったのだと思います。さっきまであれほど己を主張しておった金が、今はただ、そこにある。

そうじゃ。光があるから金は輝く。光が去れば金は沈む。変わったのは金閣ではなく、空じゃった。

晴れた景色は確かに美しゅうございました。しかし今のこれは、美しいという言葉では追いつかない何かがある。池の色も、雪の重さも、遠くの山が霞む様も、すべてがひとつの息をしているように見えます。

この建物はこうして幾千もの雪の日を越えてきたのじゃろう。誰も見ておらぬ夜も、光のない朝も、ただそこに立ち続けてきた。

その時間の重さが、今この灰色の空の下に、静かに滲み出ているのかもしれません。

一期一会とはのう、こういうことじゃ。同じ場所に来ても、同じ景色は二度とない。今日この曇り空の金閣を見たのは、この世でこの御仁ひとりだけじゃ。

晴れの金閣も、雪の金閣も、そして今この薄明かりの金閣も。今日一日でいくつの顔を見せてもらったことか。義満公、なかなかやりますな。

金閣寺とはのう、金色の建物ではなかったのじゃよ。時と光と空が合わさって、初めて完成する場所じゃったのじゃ。
































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