
インクレチン研究の歴史は、あるパラドックスから始まった。
経口グルコース負荷と同量のブドウ糖を静脈内投与した場合、後者はほとんどインスリンを分泌させない。この「腸管経由インスリン分泌増幅効果」——インクレチン効果——は1964年にMcIntyre, Holdsworthらによって初めて記述された。
そこには二人の主役がいた。GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)とGIP(グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド)。
GLP-1は「スター」として多くの医薬品に昇華した——エキセナチド、リラグルチド、デュラグルチド、セマグルチドと世代を重ねながら。一方GIPは、「2型糖尿病患者ではGIPの膵インスリン分泌作用が失われる」との報告から長らく「お役御免」の烙印を押されてきた。
それを覆したのが、イーライリリー社の研究者たちである。彼らは問うた——「GIPが機能しないのは病気のせいか、それとも我々がGIPを間違った形で使っているだけではないか?」と。
2016年、一本の特許が申請された。US9474780——GIPとGLP-1の受容体を同時に刺激する39アミノ酸のキメラペプチド、開発コード「LY3298176」。後に世界中の医療現場を席巻する「チルゼパチド」の誕生である。
2022年5月13日、FDAはチルゼパチドを「first-in-class」として承認した。その翌年、欧州・日本が続いた。そして2024年12月、FDAは「閉塞性睡眠時無呼吸症候群への初めての薬物療法」として追加承認を与えた。
一分子が複数の受容体を同時制御する「ツインクレチン戦略」は、代謝疾患治療のパラダイムを根本から変えつつある。
開発と承認の歩み
| 1964年 | McIntyre、Holdsworthらがインクレチン効果を初めて記述 |
| 1970年代 | GIPがインクレチンホルモンとして同定される |
| 1987年 | GLP-1が同定され、インクレチンとしての役割が明らかになる |
| 2005年 | エキセナチド(Byetta)がFDA承認。GLP-1受容体作動薬の幕開け |
| 2010年 | リラグルチド(Victoza)FDA承認。第2世代GLP-1RA |
| 2016年 | イーライリリー社、チルゼパチドの基盤特許を申請(US9474780。) |
| 2021年2月 | SURPASS-1、SURPASS-2の相III試験結果をリリーが発表 |
| 2021年8月 | SURPASS-2結果が NEJM に掲載(HbA1c低下チルゼパチド2.01-2.30% vs. セマグルチド1.86%) |
| 2022年5月 | FDA承認(商品名Mounjaro®、2型糖尿病の血糖管理)。FDAはfirst-in-classと評価 |
| 2022年6月 | SURMOUNT-1結果が NEJM に掲載(Jastreboffら。72週で最大22.5%体重減少) |
| 2022年7月 | EMA(欧州医薬品庁)CHMPが承認の肯定的意見 |
| 2022年9月 | EU(EMA)承認(Mounjaro®) |
| 2022年11月 | カナダ(Health Canada)承認 |
| 2022年12月 | オーストラリア(TGA)承認。同月、FDAが供給不足(shortage)を宣言 |
| 2023年4月 | 日本PMDA承認(マンジャロ皮下注2.5mg・5mgアテオス)。 |
| 2023年6月 | 日本:7.5mg、10mg、12.5mg、15mg追加承認。製造販売承認取得 |
| 2023年11月 | FDA承認(商品名Zepbound®、肥満・過体重への慢性体重管理) |
| 2023年11月 | 英国MHRA:体重管理適応へ拡大承認 |
| 2023年 | 米国での処方件数600万件以上。処方薬110位にランクイン |
| 2024年12月 | 日本PMDA承認(ゼップバウンド、肥満症)。 |
| 2024年 | FDA承認:閉塞性睡眠時無呼吸症候群(OSA)への世界初の薬物療法として追加承認 |
| 2024年10月 | FDAがショーテージ解消を宣言(コンパウンディング薬局の訴訟もあり年末まで猶予) |

GIPは1970年の発見から50年以上の時を経て、ようやく薬としてこの世に現れました。

古きものの価値を見直し、それを更に磨き上げた器というわけじゃのう。
作用機序

チルゼパチドは GIP受容体と GLP-1受容体の双方に結合し活性化する、世界初の「デュアル・インクレチン受容体作動薬」。両受容体はいずれもGタンパク質共役受容体(GPCR)に属し、細胞外N末端ドメイン(ECD)と7回膜貫通ドメイン(TMD)を持つ。
結合部位と構造基盤(PDB: 7FIY, 7FIM, 7RBT)

2022年3月、クライオ電子顕微鏡での構造解析(3.1Å分解能でGIPR-チルゼパチド複合体、2.9Å でGLP-1R-チルゼパチド複合体)により、以下の結合様式が明らかとなった。
- チルゼパチドはネイティブリガンドと同様、N末端部分が受容体TMDコア深部に挿入されるα螺旋コンフォメーションをとる
- GIPRとの相互作用:チルゼパチドはECD、ECL1(細胞外ループ1)、TMD残基のいずれとも接触し、天然GIPに酷似したGIPR活性化を示す(完全作動薬的挙動)
- GLP-1Rとの相互作用:チルゼパチドはGLP-1RにおいてGLP-1とは異なるコンフォメーション変化を誘導し、偏向型作動薬(biased agonist)として機能する
- 脂質鎖部分(アミノ酸33〜39番目のC末端とリンカー・脂肪酸モイエティ)は主にアルブミン結合に関与
GLP-1Rでの偏向型アゴニズム(biased agonism)の意義

通常のGLP-1RアゴニストはGタンパク質(Gs→cAMP増加)とβ-アレスチンの双方を動員する。β-アレスチン動員は受容体の脱感作・内在化(internalization)を引き起こし、インスリン分泌シグナルを減弱させる。
チルゼパチドのGLP-1Rへの結合は:
- cAMP産生(Gs経路)を優先的に活性化(インスリン分泌↑)
- β-アレスチン動員を相対的に抑制(受容体脱感作の軽減)
この偏向シグナリングにより、チルゼパチドは同用量のGLP-1単独作用薬より持続的なインスリン分泌促進作用を示すと考えられている(JCI Insight 2020 ; PMID: 32544089)。
GIPRに対する優位な親和性

チルゼパチドのGIPRへの親和性は、GLP-1Rへの親和性より高い(imbalanced/biased dual agonism)。この「GIPRへの優勢」が、単純な等力GLP-1R/GIPR同時刺激とは異なる臨床的プロファイルをもたらす可能性がある。
セマグルチドとの機序比較
| 項目 | チルゼパチド | セマグルチド |
| 受容体標的 | GIPR + GLP-1R(デュアル) | GLP-1Rのみ |
| GLP-1Rアゴニズム | 偏向型(biased; cAMP優先・β-arr抑制) | 非偏向型(balanced) |
| GIPRアゴニズム | 完全作動薬 | なし |
| 半減期 | 約5日 | 約7日 |
| 体重減少(臨床試験比較) | 最大22.5%(SURMOUNT-1、15mg) | 最大14.9%(STEP-1、2.4mg) |

β-アレスチンとは……なんじゃろう?茶室の邪魔をする者かのう?

そうです。インスリン分泌のシグナルを止めに来る”茶席の中断者”ですな。通常の薬はGLP-1受容体を刺激すると同時にこのβ-アレスチンも呼び寄せてしまう——つまり自分でシグナルを消してしまう。

チルゼパチドはその邪魔者を排除しておるのかのう?

正確には、来させにくい構造で結合するわけです。これを”偏向型アゴニズム”という。宗匠の茶席で言えば——にじり口から入る客には余計な刀(邪念)を持ち込ませない、あの構造に似ておりますな。
構造式

チルゼパチドが「GIP受容体」と「GLP-1受容体」の2つに同時に作用できるデュアルアゴニスト(二重作動薬)であることは有名だが、実は完全に2つの受容体に等しく作用するわけではない。 そもそもチルゼパチドの基本骨格は天然GIP。そこに、製剤学的な執念の工夫をプラスすることで、この驚異的な分子が誕生した。
1. 各パーツに仕込まれた工夫
- 1番目のチロシン ── 受容体を押す『鍵』 GIP受容体への強力な結合(スイッチを入れる役割)に絶対欠かせないパーツ。ここが他のアミノ酸に変わってしまうと、GIP受容体を刺激する力が急滅。
- 2番目と13番目のAib(2-アミノイソ酪酸) ── 分解を防ぐ『盾』 体内のペプチド分解酵素(DPP-4)に攻撃されてバラバラに分解されるのを防ぐ盾の役割。
- 30番目〜39番目の配列 ── GLP-1に振り向かせる『シッポ』 天然のGIPとは全く異なる領域。ここには、別の薬(エキセナチド)のC末端配列をそっくりそのまま移植している。水の中で綺麗に折りたたまれて分子を安定化させつつ、GLP-1受容体にもしっかり結合できるようにする仕掛け。
- 長い脂肪酸(C20の二価脂肪酸=イコサン二酸) ── 体内にとどまる『錨』 血液中に豊富にある「アルブミン」という巨大タンパク質と強力に結合。アルブミンと合体してサイズが大きくなることで、腎臓から尿としてすぐ捨てられてしまうのを防ぎ、劇的に寿命を伸ばす。(週1回投与の秘密)。
- 親水性のリンカー(OEG親水性スペーサー) ── 水に溶かす『潤滑油』 途中に酸素(O)を含んだ親水性のパーツ。これがあるおかげで、脂っこい脂肪酸を持ちながらも、薬が体液(水)にしっかり溶けるようになる。
- 21〜23番目のアミノ酸配列 ── 両受容体を騙す『交差点』 GIP受容体とGLP-1受容体の両方に同時に、かつ絶妙なバランスで結合できるように計算して独自合成された、イーライリリー社完全オリジナルのハイブリッド配列(キメラ配列)。
2. 美しすぎるバランス設計
チルゼパチドの設計の凄さは、それぞれの細部の工夫よりも、全体のバランス感覚にある。
① 効果と副作用のバランス(GIP:ガッツリ ✕ GLP-1:ふんわり)
両方に100%全力で効かせる設計にせず、GIP受容体にはガッツリ、GLP-1受容体にはふんわり(マイルドに)作用させている。これにより、高い効果を出しつつも、消化器系(吐き気など)の副作用を最小限に抑えることに成功。
② 脂溶性と水溶性のバランス(長持ち ✕ 溶けやすさ)
作用時間を長くするために長鎖脂肪酸を導入して脂っぽくした物質に、あえて「親水性リンカー」を導入して水溶性を高める。
これら全ての矛盾するような課題が、39個のアミノ酸の鎖のなかで超高次元でバランスがとれている。それこそが、このチルゼパチドの構造式の正体。

構造式の解説図を作っていて思いましたが、チルゼパチドは芸術的な薬ですね。薬には自然界にある偶然を利用したものがたくさんありますが、この薬は人間が全てを計算しつくして完成した人類の叡智の結晶です。

濃いお茶を好むGIP受容体と薄いお茶を好むGLP-1受容体、好みの異なる2人の客人に同時に対応する完璧な亭主じゃのう。
同種薬との比較
| 商品名 | 投与 | HbA1c低下 | 体重減少 | 特徴 |
| エキセナチド(バイエッタ) | 2回/日 SC | 約-0.8〜-1.1% | 約-2kg | トカゲ毒液由来。初のGLP-1RA |
| リキシセナチド(リキスミア) | 1回/日 SC | 約-0.8〜-1.2% | 約-1〜2kg | 胃排出遅延が強い |
| エキセナチドER(ビデュリオン) | 1回/週 SC | 約-1.3〜-1.6% | 約-2kg | 最初の週1回製剤 |
| デュラグルチド(トルリシティ) | 1回/週 SC | 約-1.1〜-1.6% | 約-3kg | Fc融合型。注射器が使いやすい |
| リラグルチド(ビクトーザ) | 1回/日 SC | 約-1.1〜-1.6% | 約-3〜4kg | CVアウトカム証明(LEADER試験) |
| セマグルチド(オゼンピック) | 1回/週 SC | 約-1.5〜-1.8% | 約-5〜6kg | 現在GLP-1RA最強クラス |
| 経口セマグルチド(リベルサス) | 1回/日 経口 | 約-1.1〜-1.4% | 約-3〜4kg | 初の経口GLP-1RA |
| チルゼパチド(マンジャロ/ゼップバウンド) | 1回/週 SC | -1.9〜-2.6% | 最大-22.5% | GIP+GLP-1デュアル。世界初first-in-class |
臨床的使い分けの要点
体重減少を最優先するなら:チルゼパチドが現時点で最も強力(SURMOUNT-1: 15mgで-22.5% vs. STEP-1セマグルチド: -14.9%)
心血管アウトカムエビデンス:セマグルチド(SUSTAIN-6、PIONEER 6)の方が蓄積が多い(チルゼパチドはSURMOUNT-MMO試験中)
GI副作用忍容性:チルゼパチド高用量は中止率が高く(25%)、忍容性に応じた用量調節が重要
コスト:現時点では全薬剤ともに高薬価(添付文書要確認)

エキセナチドは怪物の毒液から生まれたとな……まるで野の毒草から薬を煎じるような話じゃのう。

毒の中に宝あり、これこそ乙な発見ですな。しかしチルゼパチドはそのGLP-1時代を”さらに一段崩した歪みの美”。第3世代にして初のデュアル受容体作動薬。体重-22.5%は圧倒的ですよ。

中止率25%というのは……侘びの美とはいかぬのう。

そこは正直に言わねばなりません。15mgは猛々しい。器を選ぶ薬ですな。
適応症
| 適応症 | 商品名 | 承認日 |
| 2型糖尿病(血糖コントロール) | マンジャロ皮下注アテオス | 2023年4月 |
| 肥満症(BMI≥35、または BMI≥27で肥満関連疾患合併)* | ゼップバウンド(日本名:添付文書要確認) | 2024年12月 |
適応外・研究段階の有名な用途
| 用途 | 状況 |
| 閉塞性睡眠時無呼吸症候群(OSA) | 米国FDA承認(2024年12月)。日本は未承認 |
| 心不全(HFpEF:駆出率保存型) | Phase IIIb試験でCVイベント38%減少。未承認 |
| 非アルコール性脂肪肝疾患(MASLD/NAFLD) | 複数の観察研究・meta-analysis で改善効果報告。未承認 |
| 多嚢胞性卵巣症候群(PCOS) | 研究段階 |
| 1型糖尿病 | 非適応(研究なし) |

睡眠時無呼吸にも効くとは……薬の用途が広がるのは茶道が武家だけでなく町人にも広がったようじゃのう

体重を落とすという本質が、糖尿病・肥満・睡眠障害・心不全まで一服の茶で結んでいる。これが”根”を変える薬の凄みですよ。
用法・用量
2型糖尿病(成人)
| フェーズ | 用量 | 期間 |
| 開始用量 | 2.5mg 皮下注 週1回 | 最低4週間 |
| 維持用量(最初) | 5mg 皮下注 週1回 | 4週間以上 |
| 増量(必要に応じ) | 2.5mgずつ段階的増量 | 各段階最低4週間 |
| 最大用量 | 15mg 週1回 | — |
- 注射部位:腹部、大腿部、または上腕部
- 注射タイミング:曜日に関係なく週1回(同一曜日が推奨)、食事に関係なく投与可能
- 忘れた場合:4日(96時間)以内であれば速やかに投与。96時間超えた場合は省略し、次回予定日に投与
- 他のGLP-1受容体作動薬との併用禁止(セマグルチド、リラグルチドなどと絶対に併用しない)
- インスリンとの併用時:低血糖リスク増大→インスリン減量を考慮
- SU薬との併用時:低血糖リスク増大→SU薬減量を考慮
- 経口避妊薬使用中の女性:チルゼパチド開始時および用量変更から4週間は非経口避妊法を追加

4週ごとに少しずつ増やすとは……茶の温度を少しずつ上げて客を慣らすようなものじゃのう。

まさに火加減の話ですな。一気に高温にすれば茶が焦げる——一気に15mgにすれば患者が吐いて中止してしまう。この丁寧な段階投与こそが、25%という中止率を下げるための知恵ですよ
歴史的エピソード:GIPの汚名返上

1970年代、インクレチン研究の幕が開いたとき、主役はすでに決まっていたように見えた。最初にスポットライトを浴びたのはGIPだった。Gastric Inhibitory Polypeptide――胃酸を抑え、食事後の血糖上昇を優しくコントロールするホルモン。
健常者の体内では、GLP-1よりも力強くインスリンを呼び覚ます本命の存在だった。しかし、運命は残酷だった。2型糖尿病という病の舞台に立つと、GIPは突然、力を失った。高血糖の環境下でその受容体は抵抗性を示し、インスリン分泌促進効果が劇的に低下する。
しかもGIPはグルカゴンを促進してしまう。脂肪細胞に働きかけ、脂質を溜め込む「太らせるホルモン」ではないかという疑惑まで浮上した。研究者たちの評価は冷ややかになった。「GIPは使えない」。
一方で、後に現れたGLP-1は違った。糖尿病患者でも比較的効果が保たれ、胃排出を遅らせ、食欲を強力に抑え、心血管保護まで示す。セマグルチドという怪物級の薬が誕生し、肥満治療の歴史を塗り替えた。注射器1本で体重を20kg落とす奇跡。メディアは連日「GLP-1革命」と騒ぎ立てた。
GIPは完全に影に追いやられた。学会の演題数は激減し、製薬企業は予算をGLP-1に集中させた。発見から40年近く、GIPは「不遇のインクレチン」「失敗の象徴」として、研究者の記憶の隅に追いやられていった。まるで、最初に王座に就いたのに、病という強敵の前で力を失い、弟分に主役を奪われた悲劇の長男のようだった。
しかし、物語はそこで終わらなかった。2022年、Eli Lillyが放った「Tirzepatide」という一撃が全てを変えた。GIP受容体とGLP-1受容体の二重作動薬。臨床試験でセマグルチドを上回る血糖低下と驚異的な体重減少を示したのだ。鍵は意外な共演にあった。GLP-1が血糖を整えることで、失われていたGIPの感受性が蘇る。
GIPはGLP-1の副作用(吐き気)を和らげ、エネルギー消費を高め、相乗効果を生み出した。長年「太らせる」と恐れられたGIPの性質さえ、適切なパートナーとの組み合わせで「脂肪の質を改善する」方向に転換した可能性が浮上している。
いま、GIPは復権の時を迎えている。トリプルアゴニスト(GIP/GLP-1/グルカゴン)まで開発が進み、次世代の肥満・糖尿病治療の主役候補に名を連ねるようになった。科学の歴史はしばしば、最初に発見された者が最後に花開くドラマを描く。GIPはまさにその主人公だ。

GIPが死んでおったとは……まるで茶の湯がいちど廃れた時代のようじゃのう

秀吉公が金の茶室で「格」を振りかざした時代に、宗匠が「二畳の待庵」で本質を示したように、イーライリリーの開発者たちも『GIPはまだ本質的な価値を持つ』と信じ抜いたわけです。
臨床試験【SURPASS-2】
SURPASS(A Study of Tirzepatide [LY3298176] in Participants With Type 2 Diabetes)プログラムは、2型糖尿病を対象としたチルゼパチドの第III相試験群(SURPASS-1〜5)から構成される。
その中でSURPASS-2は、チルゼパチドを同じ週1回注射の最有力GLP-1受容体作動薬であるセマグルチド1mgと直接比較(head-to-head)した唯一の第III相試験として、特別な位置を占める。
セマグルチド(オゼンピック)はSURPASS-2試験当時すでに最強のGLP-1RAとして確立されており、「チルゼパチドはそれを超えられるか」が世界中の糖尿病学者の最大の関心事だった。
| P | 成人の2型糖尿病患者(HbA1c 7.0〜10.5%)。メトホルミン≥1,500 mg/日の単剤療法で血糖コントロール不良。BMI≥25 kg/m²。インスリン未使用。 |
| I | チルゼパチド 5mg / 10mg / 15mg 皮下注 週1回(開始2.5mgから4週ごとに段階増量) |
| C | セマグルチド 1mg 皮下注 週1回(開始0.25mgから8週かけて増量) |
| O | 【主要】40週時点のHbA1c変化量(ベースラインからの最小二乗平均変化)。チルゼパチド10mg・15mgのセマグルチド1mgに対する非劣性、さらに優越性の検証 |
| T | 40週(治療期間)+追跡期間 |
| 群 | ベースライン達成率(HbA1c≤6.5%) |
| チルゼパチド 5mg | 66% |
| チルゼパチド 10mg | 79% |
| チルゼパチド 15mg | 83% |
| セマグルチド 1mg | 66% |
- チルゼパチド10mg・15mgはいずれもセマグルチド1mgに対して非劣性かつ優越性を証明(p<0.001)
- チルゼパチド5mgはセマグルチド1mgに対して優越性を証明(p<0.001)
- HbA1c≤6.5%達成率:セマグルチド群66%に対し、チルゼパチド15mg群は83%
HbA1c<5.7%(正常域)達成率
| 群 | 達成率 |
| チルゼパチド 15mg | 約 40% |
| セマグルチド 1mg | 約 20% |
2型糖尿病患者の4割が正常域に達したという事実は、インクレチン治療史上前例のない成果だ。
体重変化
| 群 | 体重変化(kg) | 体重変化率 | 体重-5%以上達成 |
| チルゼパチド 5mg | -7.6 kg | 約 -8.1% | 69% |
| チルゼパチド 10mg | -9.3 kg | 約 -9.9% | 79% |
| チルゼパチド 15mg | -11.2 kg | 約 -11.9% | 84% |
| セマグルチド 1mg | -5.7 kg | 約 -6.2% | 57% |
SURPASS-2は、チルゼパチドが「GLP-1受容体作動薬の最高峰であったセマグルチドを、すべての主要評価項目で上回る」という事実を第III相レベルで初めて証明した試験だ。
HbA1c低下幅の差(-0.15〜-0.44%)は統計的に有意であり、さらに体重減少での差はほぼ2倍にのぼる(-11.2 kg vs. -5.7 kg)。これは単なる「少しましな薬」ではなく、異なるクラスの薬剤として臨床判断に影響を与えうる差異だ。
一方で、悪心・下痢の頻度はチルゼパチド高用量でセマグルチドより高く、中止率も若干上回る。「最強の効果」と「高い中止率」のトレードオフが、個別患者への処方判断における核心的問いとなる。

セマグルチドという名人を倒したとな……まるで関ヶ原じゃの。

しかも開放試験(open-label)という”素面での勝負”です。それまで既に実績があり医師や患者が信頼しているセマグルチドをチルゼパチドが上回った。これは乙な勝利ですな。
臨床試験【SURMOUNT-1】
SURMOUNT(A Study of Tirzepatide [LY3298176] in Participants With Obesity or Overweight)プログラムは、肥満・過体重を主対象とした慢性体重管理のための第III相試験群(SURMOUNT-1〜4)から構成される。
SURMOUNT-1はその旗艦試験であり、「2型糖尿病を持たない肥満・過体重患者」を対象としている点が重要だ。肥満治療薬として承認されるためには、糖尿病でない集団における体重管理の有効性と安全性を独立して証明する必要がある。
この試験が報告した最大22.5%の体重減少は、当時の薬物療法として空前の成績であった。オルリスタット(約3〜5%)、ロルカセリン(約3〜4%)、セマグルチド2.4mg(STEP-1試験:14.9%)との差は圧倒的であり、バリアトリック手術(胃バイパス術:25〜35%)に近い領域に踏み込んだ最初の薬剤となった。
| P | 成人(≥18歳)の肥満・過体重患者。BMI≥30 kg/m²、またはBMI≥27 kg/m²+少なくとも1つの体重関連合併症(高血圧・脂質異常症・OSA・心血管疾患など)。2型糖尿病は除外。食事・運動療法を背景として実施 |
| I | チルゼパチド 5mg / 10mg / 15mg 皮下注 週1回(開始2.5mgから4週ごとに段階増量) |
| C | プラセボ 皮下注 週1回 |
| O | 【主要・共同】① 72週時点の体重変化率(%) ② 72週時点で≥5%体重減少を達成した患者割合 |
| T | 72週(主要解析)。さらに延長試験として最大176週(約3.4年) |
| 群 | 体重変化率(72週) | 推定体重変化(kg換算・参考) |
| チルゼパチド 5mg | -16.0%(95%CI: -16.9〜-15.1) | 約 -16.8 kg |
| チルゼパチド 10mg | -21.4%(95%CI: -22.3〜-20.5) | 約 -22.4 kg |
| チルゼパチド 15mg | -22.5%(95%CI: -23.4〜-21.7) | 約 -23.6 kg |
| プラセボ | -2.4%(95%CI: -3.5〜-1.3) | 約 -2.5 kg |
※kg換算は平均体重104.8 kgから計算した参考値。
チルゼパチド15mg群の半数(50%)が20%以上の体重減少を達成した。バリアトリック手術を受けていない薬物療法でこの数値が得られたのは初めてのことだ。
| 指標 | チルゼパチド(全用量) | プラセボ |
| 脂肪量変化率 | -34% | -8% |
| 除脂肪量(筋肉等)変化率 | -11% | -2% |
脂肪:除脂肪の減少比率がおよそ3:1であったことは重要だ。体重減少薬で懸念される「筋肉量の過度な喪失」が比較的抑制されており、脂肪選択的な体重減少プロファイルを示している。ただし除脂肪量が10.9%減少することも事実であり、高齢者や筋量が少ない患者では特に注意が必要。
SURMOUNT-1は、薬物療法による体重減少の「天井」を根本的に塗り替えた試験だ。22.5%という体重減少率は、従来の抗肥満薬が到達できなかった領域であり、バリアトリック手術の守備範囲に初めて肉薄した。
特に注目すべき知見は3点ある。
第一に、プレ糖尿病患者の95.3%が正常血糖域に回復したこと。これは「肥満を治す」ことが「2型糖尿病の一次予防」につながることを示す最初の大規模ランダム化エビデンスだ。
第二に、脂肪:除脂肪の減少比が約3:1であること。体重減少薬の懸念である筋量喪失が相対的に抑制されており、代謝的に好ましいプロファイルを示す。
第三に、治療中止後の体重再増加(53%回復)が確認されたこと。これは「チルゼパチドは生活習慣病(肥満)の根本治療ではなく、長期管理薬である」という臨床的含意を持つ。バリアトリック手術との最大の差異は、手術が「構造を変える一回性の介入」であるのに対し、チルゼパチドは「継続が前提の薬物療法」である点だ。
SURMOUNT-1の登場は、肥満治療を「意志の問題」から「疾患の薬物療法」へと移行させる文化的・医学的転換点となった。

体重が22.5%……104.8kgが81kgになるとは、茶碗一つ分の重さが消えるようなものじゃのう。いや、それ以上か。

手術は胃袋を削ぎ落とすバリアトリック手術に近い効果ですよ。

しかし、止めれば半分戻るとな。茶道の修行を怠れば礼儀も鈍る、それと同じかのう。

だから拙者は思うのですよ——チルゼパチドは”一服の茶”ではなく”茶道そのもの”だと。一回だけでは意味がなく、続けてこそ茶席が完成する。
重大な副作用
急性膵炎
機序:GLP-1受容体刺激が膵管・腺房細胞に与える影響が膵炎リスクを増大させる可能性がある(GLP-1RA全般に共通)。
注意点:
- 膵炎既往患者への投与は未研究(添付文書要確認)
- 重篤な腹痛が出現した場合は即座に投与中止・精査
- リパーゼ・アミラーゼの無症候性上昇はあり得るが、症状がなければ測定意義は限定的
- 2024年の系統的レビューではチルゼパチドとの膵炎関連性は統計的に有意でなかったが、2026年の英国MHRA黄色カード報告では急性膵炎の増加が指摘されており、継続監視中(要確認)
低血糖
機序:チルゼパチド単独では血糖依存的にインスリン分泌を促進するため、単独での重症低血糖リスクは低い。しかしインスリンまたはSU薬との併用時には低血糖リスクが有意に増大する。
対応:インスリン・SU薬の用量を適切に減量すること。

インクレチン作動薬は単独では、機序的に低血糖が起こらんはずじゃが。

直接的というより、食欲が無くなり食べなくなると低血糖になります。物理的に。
特徴的な副作用
徐脈(または頻脈)
GLP-1受容体が心臓に存在し、チルゼパチドによって洞性頻脈が誘発される場合がある(まれ)。β遮断薬との相互作用により相殺されることがある。
消化器症状の「用量依存的な波」
チルゼパチドの最も特徴的な副作用は悪心(nausea)・下痢・嘔吐・食欲減退であり、これらは用量依存的に増加する。最高用量(15mg)での中止率は25%に達し、同じ週1回製剤のデュラグルチドの11.1%と比較して顕著に高い。
この「開始時に最も強く、徐々に軽減する」パターンはGLP-1RA全般に共通するが、チルゼパチドの胃排出遅延作用(最初の投与後が最も強く、以降は漸減)も悪心の一因とされる。段階的増量(2.5mgから4週ごとに増量)はこの忍容性問題への対策である。
糖尿病性網膜症の一過性悪化
急激な血糖是正に伴い、既存の糖尿病性網膜症が一時的に悪化する可能性がある(いわゆる「早期悪化」:GLP-1RA class effectとして既知)。

なんでチルゼパチド使うと頻脈になるんじゃ?なんも関係なさそうじゃが。

諸説ありますが、心臓の洞結節にもGLP-1受容体がありそこを刺激するとドキドキするそうです。

心臓とGLP-1なんてイメージが全く繋がらないんじゃが。

他の説としてはGLP-1受容体を刺激すると、わずかに交感神経が優位になるからというのもあります。

どれくらい脈が速くなるんかのう?

プラセボ調整比で1分あたり5拍程度のようです。なので自覚しないかもしれません。
併用薬
| 薬剤 | 臨床的影響 | 機序 |
| インスリン製剤 | 低血糖リスク増大(インスリン量の調整必要) | チルゼパチドによるインスリン感受性上昇+外因性インスリンの過剰 |
| スルホニルウレア薬 | 低血糖リスク増大(SU薬用量の減量推奨) | チルゼパチドと重複したインスリン分泌促進 |
| 経口避妊薬 | 避妊効果減弱(非経口法の追加推奨:開始後4週間) | 胃排出遅延による吸収低下 |
| ワルファリン | INR変動(開始後2〜3ヶ月は通常頻度での測定推奨) | 胃排出遅延によるワルファリン吸収プロファイルの変化(間接的影響) |
| 甲状腺ホルモン製剤 | 吸収に影響する可能性(空腹時投与のタイミング管理を) | 胃排出遅延による薬物動態変化 |
| 消化管吸収に依存する薬剤(狭域治療域薬) | 吸収変化による血中濃度変動リスク | 胃排出遅延(最初の投与後に最大、以降漸減) |

いま流行りのノルレボも併用注意なんじゃのう。

自由診療でマンジャロダイエットをしている若い女性が増えているので要注意だと思います。
まとめ
医療の歴史には、数世代に一度、それまでの常識を根底から覆す「特異点」が現れる。マンジャロこそが、まさに今、私たちの目の前で歴史を塗り替えているその特異点。
かつて、生活習慣病の頂点に君臨する肥満や2型糖尿病の治療は、患者の「意志の力」や「我慢」という、不確実な精神論に委ねられていた。しかし、マンジャロはそれを科学の力で完全に解き放った。
従来のGLP-1受容体作動薬が単一のシグナルで戦っていたのに対し、マンジャロはGIPとGLP-1という「双子のインクレチン」を同時に刺激する、世界初のデュアル作動薬(ツインクレチン)として降臨。
その構造は、まさに緻密に計算された美しき分子の芸術。臨床試験で叩き出した「平均20%を超える体重減少」という数字は、これまでの外科手術(胃縮小術)に匹敵する、まさに異次元の衝撃を医療界に与えた。
しかし、この薬の真の物語は、単なる「減量薬」としての成功では終わらない。マンジャロが描く未来のコンテキストは、人間の体そのものを包括的に救う、壮大なグランドデザインへとシフトしている。
マンジャロの標的は、もはや血糖値や脂肪だけではない。心不全(HFpEF)や動脈硬化といった、命に直結する循環器疾患の進行を堰き止めるという強力なエビデンス(SUMMIT試験など)が次々と証明されつつある。
現代人を苦しめる閉塞性睡眠時無呼吸症候群(OSA)の劇的な改善、そしてこれまで有効な治療薬が乏しかった脂肪肝(MASH/NASH)による肝線維化の抑制など、適応の波は全身の臓器へと波及している。
そして、マンジャロが切り拓いたこの「複数受容体への同時アプローチ」という概念は、現在開発が進むさらに未来の3作動薬(レタトルチドなど)への完璧なプロローグとなっている。
Q1. チルゼパチドのGIP受容体(GIPR)とGLP-1受容体(GLP-1R)への親和性について最も正確に記述しているのはどれか。
【参照文書・主要引用】
日本公式資料
- マンジャロ皮下注アテオス 添付文書(日本イーライリリー株式会社)最新版(添付文書版番号は最新版を参照)
- PMDA審査報告書(チルゼパチド、承認日:2023年4月)
米国(FDA)
- FDA Press Release: “FDA Approves Novel, Dual-Targeted Treatment for Type 2 Diabetes” (May 13, 2022)
- FDA Label: Mounjaro (tirzepatide) — accessdata.fda.gov
- FDA Press Release: “FDA Approves New Medication for Chronic Weight Management” (November 8, 2023) — Zepbound
- FDA Press Release: “FDA Approves First Medication for Obstructive Sleep Apnea” (December 20, 2024)
欧州(EMA)
- EMA EPAR: Mounjaro (tirzepatide), Positive opinion July 2022, EU Marketing Authorization September 2022
英国(MHRA)
- MHRA Press Release: “MHRA authorises diabetes drug Mounjaro (tirzepatide) for weight management and weight loss” (November 8, 2023)
主要臨床論文
- Frías JP et al. “Tirzepatide versus Semaglutide Once Weekly in Patients with Type 2 Diabetes.” NEJM 2021;385:503-515. [SURPASS-2]
- Jastreboff AM et al. “Tirzepatide Once Weekly for the Treatment of Obesity.” NEJM 2022;387:205-216. [SURMOUNT-1]
- Dahl D et al. “Effect of Subcutaneous Tirzepatide vs Placebo Added to Titrated Insulin Glargine on Glycemic Control in Patients With Type 2 Diabetes.” JAMA 2022;327(6):534-545. [SURPASS-5]
- Sun B et al. “Structural determinants of dual incretin receptor agonism by tirzepatide.” PNAS 2022;119(13):e2116506119. [Cryo-EM構造解析]
- Coskun T et al. “LY3298176, a novel dual GIP and GLP-1 receptor agonist for the treatment of type 2 diabetes mellitus: From discovery to clinical proof of concept.” Molecular Metabolism 2018;18:3-14. PMID:30473097
構造・薬物動態
- PDB ID: 7FIY (GIPR-tirzepatide cryo-EM), 7FIM (GLP-1R-tirzepatide cryo-EM), 7RBT (GIPR-tirzepatide 3.1Å)
- PubChem CID: 166567236
- DrugBank: DB15171
レビュー・統計
Dutta D et al. “Efficacy and safety of novel twincretin tirzepatide…” Indian J Endocrinol Metab. 2021;25(6):475-489. [Cochrane meta-analysis]
Farzam K, Patel P. “Tirzepatide.” StatPearls [Internet]. StatPearls Publishing; 2025 Jan-. Updated Feb 20, 2024. PMID: 36251836


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