
アスピリンはドイツ・バイエル社が1897年に開発して以来、すでに120年以上にわたって世界で繁用されている非ステロイド性解熱鎮痛消炎剤である。
しかし現代において、バイアスピリン錠100mgという名で処方される本剤は、その顔をすっかり変えている。かつて「痛み止め」として世界を席巻したアスピリンは今、血小板の凝集を抑制する「抗血小板剤」として、心筋梗塞や脳梗塞の予防という全く異なる戦場で戦っている。
この変貌のきっかけは1967年にある。Weissらによって、アスピリンが血小板凝集抑制作用を持つことが発見され、以来その有用性は多数の大規模臨床試験によって証明されてきた。
柳の樹皮から始まり、染料化学を経て合成され、世界大戦で商標を奪われ、痛み止めから心臓の薬へと転身したアスピリンの歴史を紐解いていく。
バイアスピリンの開発と承認の歩み
| 1763年 | イギリスの牧師エドワード・ストーンが柳の樹皮の解熱効果をRoyal Society宛の書簡で報告 |
| 1828年 | ドイツの薬学者ブックナーが柳の樹皮からサリシンを単離 |
| 1838年 | イタリアのピリアがサリシンからサリチル酸を生成 |
| 1853年 | フランスのシャルル・フレデリック・ジェラールがアセチルサリチル酸を初合成。しかし不純物が多く、実用化を断念 |
| 1897年 | バイエル社フェリックス・ホフマンが純粋で安定なアセチルサリチル酸の合成に成功(発明者を巡る論争は後述) |
| 1899年 | バイエル社が「Aspirin™」の商標名で販売開始。当初はガラス瓶入りの粉末として発売 |
| 1900年 | 米国で特許取得 |
| 1915年 | 錠剤形態が登場。処方箋なしで購入可能となる |
| 1917年 | 米国のバイエル特許が切れる。米国参戦により同年バイエルの米国資産が敵国財産として差し押さえ |
| 1918年 | スペイン風邪流行。米外科総監・米海軍・JAMAが競ってアスピリンの大量投与を推奨(後述) |
| 1919年 | ヴェルサイユ条約により、英・米・仏・露においてアスピリン商標をドイツから剥奪。「Aspirin」は一般名化 |
| 1949年 | アルトゥール・アイヒェングリュンがアスピリン真の発明者として自身の功績を論文で主張(後述) |
| 1967年 | Weiss H.J. らがアスピリンの血小板凝集抑制作用を初報告 |
| 1971年 | ジョン・ベインがアスピリンのCOX阻害によるプロスタグランジン合成抑制機序を解明(後述) |
| 1982年 | ジョン・ベインがノーベル生理学・医学賞受賞 |
| 1988年 | ISIS-2試験にてアスピリンの急性心筋梗塞死亡率低下効果が証明される |
| 2000年 | バイエル薬品が抗血小板剤としてのバイアスピリン錠100mgの製造販売承認を取得 |
| 2001年 | 日本での販売開始 |
| 2003年 | 川崎病への適応追加 |
「Aspirin」という名称は、二つの語源から成る造語である。「A」はアセチル基(acetyl)の頭文字、「spirin」はサリチル酸の植物源であるメドウスウィートの学名 Spiraea ulmaria(またはSpiraeaのラテン語古称 Spirsäure)に由来する。語尾の「in」は当時の医薬品に広く使われた慣用的な接尾辞である。
なおバイエルがドイツで特許申請しようとしたところ、アセチルサリチル酸はすでに1853年に合成されていたとして特許は却下された。その代わりにバイエルは商標を取得することで市場における独占的優位を築いた。
発明者を巡る論争:ホフマン vs アイヒェングリュン

アスピリンの発明者について、長年にわたる論争が存在する。
公式にはバイエルが一貫して主張してきたフェリックス・ホフマン(1868〜1946)の功績とされてきた。しかしその根拠となったのは、1934年にナチス政権下のドイツで出版された百科事典に記載されたホフマン自身の脚注が初出であり、それ以前の文献には発明者としてのホフマンの記述が存在しない。
対するアルトゥール・アイヒェングリュン(1867〜1949)はユダヤ系ドイツ人化学者で、1896年にバイエルに入社しホフマンの上司であった。彼の主張によれば、アセチルサリチル酸の合成をホフマンに指示したのは自分であり、合成後にバイエルの薬理学部門長ハインリッヒ・ドレーザーが「心臓を弱める」として開発を否定したため、アイヒェングリュンが独自にベルリンの医師たちを通じて秘密裏に臨床試験を進め、良好な結果を得てドレーザーに開発続行を迫ったという。
ドレーザーはその後アスピリンの開発・普及に大きく貢献し、利益のかなりの部分を自分のものとした。一方、同時期にホフマンはドレーザーの指示でモルヒネをアセチル化する実験も行っており、その産物が「ヒロイン(heroin)」であった。1897年の2週間という短期間に、アスピリンとヘロインという対照的な二つの薬物を同じ手で合成したことになる。
アイヒェングリュンはナチス政権下で会社を「アーリア化」され、1943年には収容所テレジエンシュタットに送られた。その収容所から、彼はかつての雇用主I.G.ファルベン(バイエルが統合されていた化学コングロマリット)宛に長文の手紙を書き、自身のアスピリン発明への貢献を訴えた。釈放の嘆願は無視され、彼は戦争を生き延びた後の1949年に専門誌 Pharmazie にて自らの主張を論文として発表した。同年、アイヒェングリュンは死去。
1999年、製薬史研究者のウォルター・スナイダー教授はバイエルの許可を得てホフマンの実験ノートを精査し、ホフマンは従属的な役割しか果たせなかったと結論づけ、真の発明者はアイヒェングリュンであると主張した(Medical History誌掲載)。

アスピリンもヘロインも歴史的な薬ですが、その2つともドイツの、しかも同じ方法を使って合成されたんです。

やはりドイツの医学薬学は世界一ィィィィーーーーッ!じゃのう。

アセチル化したアスピリン胃に優しくなりましたが、モルヒネをジアセチル化したヘロインは脂溶性が高まり脳へ移行しやすくなり、とても危険なお薬へと進化しました。

エフェドリンを魔改造してメタンフェタミンを作ってしまった日本人としてシンパシーを感じるのう。
作用機序

不可逆的COX-1阻害:アスピリンだけが持つ特異な武器
バイアスピリンの抗血小板作用は、COX-1(シクロオキシゲナーゼ-1)の不可逆的阻害という、きわめて精緻かつ破壊的なメカニズムに基づく。
アスピリンはCOX-1の活性部位に存在するセリン530残基(Ser-530)をアセチル化する。これは単なる結合ではない。アスピリンのアセチル基がSer-530の水酸基と共有結合を形成し、セリン残基に永続的な化学修飾を施す。
その結果、COX-1は基質であるアラキドン酸を正常に結合できなくなり、酵素活性が永久に失われる。
この反応メカニズムは「基質補助阻害」と呼ばれる。アスピリン自身のカルボキシル基が分子内触媒として機能し、Ser-530のアセチル化を促進する仕組みだ。また活性部位近傍のTyr-385残基がアセチル基の配向と極性化を担うことも、結晶構造解析によって示されている。
NSAIDsの中でアスピリンだけが不可逆的阻害剤である。イブプロフェンやナプロキセンは競合的・可逆的阻害剤であり、血中濃度が下がれば酵素活性は回復する。アスピリンのみが一度結合したら離れることのない共有結合を形成する。
さらに、アスピリンはCOX-1に対してCOX-2より10〜100倍高い阻害活性を持つことが計算化学的研究から示されている。低用量投与でもCOX-1を効率的に阻害できる一方、COX-2への影響が相対的に小さいことが、低用量アスピリンの抗血小板選択性の分子的根拠となっている。
血小板には核がない:不可逆阻害が意味する臨床的核心

COX-1阻害が「不可逆的」であることの臨床的意味を最大化するのが、血小板の生物学的特性である。血小板には核がない。核を持つ細胞(血管内皮細胞・平滑筋細胞など)は遺伝子発現を経て新たなCOX-1を合成できる。しかし核のない血小板は、一度COX-1を失うと二度と再合成できない。
その結果、アスピリンによる血小板COX-1阻害は血小板の寿命(7〜10日)が尽きるまで持続する。100mgを1錠内服するだけで、約1週間にわたって血小板凝集が抑制される。投与後数日で血小板ターンオーバーが進むにつれ、徐々に凝集能が回復していく。
一方、血管組織では日々COX-1が再合成されるため、プロスタサイクリン(PGI2)産生は比較的速やかに回復する。PGI2はTXA2と拮抗的に作用し血小板凝集を抑制・血管を拡張させる。低用量アスピリンが血管保護作用を担うためには、このPGI2産生の回復が重要な役割を持つ。
なお、代謝物であるサリチル酸はCOX-1を阻害せず、血小板凝集抑制作用を有しない。本作用はアスピリン(アセチルサリチル酸)そのものの作用であり、腸管で加水分解されサリチル酸となった後では消失する。
そんなアスピリンの作用機序がプロスタグランジン合成阻害であると判明したのは1971年、なんと72年後のことである。
英国の薬理学者ジョン・ベインが「カスケード超流注バイオアッセイ」という革新的な手法を用いて解明した。複数の平滑筋組織を直列に並べて血液を灌流させ、アスピリンが特定の生理活性物質の産生を遮断することを示す実験で、ベインは「週末のひらめき」として後に振り返るほど突然その仮説を確信したという。
この発見は1982年のノーベル生理学・医学賞(スウェーデンのスネ・ベリストレーム、ベングト・サムエルソンとの共同受賞)につながり、現代NSAIDs開発の礎を築いた。さらにベインの研究室からはプロスタサイクリンの発見も生まれ、これもまたアスピリンの臨床薬理学の再解釈を促すことになった。

アスピリンの重要な特徴として、血小板への不可逆な結合があります。くっついたら一生離れません。

血小板と死なば諸共じゃ。

血小板の寿命が一週間程度なので、その期間はずっと血液サラサラ状態です。

手術するときは、一週間以上前に休薬せんといかんのう。
用法・用量

急性期(急性心筋梗塞・脳梗塞の初期治療)において抗血小板作用の速やかな発現を要する場合には、初回投与時に錠剤をすりつぶすか噛み砕いて服用すること。腸溶錠のTmaxは約4時間であるが、噛み砕いた場合は15分程度で効果発現が得られる。心筋梗塞患者やPTCA施行患者の初期治療では、常用量の数倍を投与することが望ましい。
川崎病
| 病期 | 用量 |
| 急性期(有熱期間) | 1日体重1kgあたり30〜50mgを3回に分けて経口投与 |
| 回復期〜慢性期(解熱後) | 1日体重1kgあたり3〜5mgを1回経口投与 |
川崎病回復期では本剤を発症後2〜3ヵ月間投与し、冠動脈検査で冠動脈障害が認められない場合には投与を中止する。冠動脈瘤を形成した症例では冠動脈瘤の退縮が確認される時期まで継続が望ましい。

稀な服用方法として、心筋梗塞などの時のかみ砕きがあります。

バイアスピリンをかみ砕いたら胃に悪そうじゃのう。

心筋梗塞の時に、胃の心配をしている場合ではありません。
重大な副作用
出血
アスピリンの最も重要な副作用は出血である。COX-1阻害は血小板だけでなく消化管粘膜の保護的プロスタグランジン(PGE2・PGI2)産生をも抑制するため、消化管出血リスクが増大する。頭蓋内出血、消化管出血(吐血・血便等)、肺出血、眼底出血、関節血腫、創傷出血などが報告されている。
手術・心臓カテーテル検査・抜歯の前1週間以内は失血量増加リスクがある。血小板COX-1阻害の持続期間が血小板寿命(7〜10日)に依存することから、少なくとも7日前からの休薬が考慮される。
アスピリン喘息
COX阻害によりアラキドン酸代謝がロイコトリエン産生経路(5-LOX経路)に偏向し、重篤な喘息発作を誘発する。NSAIDs全般に共通する反応であり、アスピリンに特異的ではない。気管支喘息患者の一部にはアスピリン喘息患者が含まれるため、気管支喘息患者への投与時は十分な確認が必要。禁忌。
ライ症候群
15歳未満の水痘・インフルエンザ患者への投与は原則禁忌。急性脳症・肝臓ほか諸臓器の脂肪変性を特徴とする高死亡率の病態。前述のStarkoの研究背景にもあるように、1980年代の米国における疫学調査でサリチル酸系製剤との関連性が報告された。
消化性潰瘍
消化性潰瘍患者への投与は禁忌。胃粘膜保護プロスタグランジンの合成抑制により胃の血流量が減少し潰瘍を悪化させる。

アスピリン喘息は有名な副作用じゃのう。小学生の教科書に載るレベルで。

ただ抗血小板薬の維持で使われる一日100mgでは起こりにくいとも言われています。
構造式

ベンゼン環にカルボキシル基(-COOH)とアセトキシ基(-OCOCH₃)がオルト位(隣接位)に結合したシンプルな構造である。
構造上の急所はアセチル基(-COCH₃)にある。このアセチル基こそがCOX-1のSer-530に結合し、アセチル化反応を起こす主役だ。分子内に存在するカルボキシル基は単なる官能基ではなく、アセチル化反応の触媒としても機能するという二重の役割を担っている。
サリチル酸との構造的差異はアセチル基の有無だけだが、その差が「COXを可逆的に阻害するか不可逆的に阻害するか」「代謝後に血小板凝集抑制作用が残るかどうか」を決定する。たった-COCH₃ひとつが薬理学的に別物を作り出している。
ちなみに開封後のアスピリンが酢酸臭を放つのは、加水分解によりアセチル基が離脱して酢酸が生じるためである。この分解産物であるサリチル酸は胃刺激性が高く、アスピリンの消化管副作用の一因となる。

シンプルで美しい構造じゃ、侘び寂びを感じるのう。

分子内でアセチル化を促進するカルボキシル基の協調性など、茶の湯での和を思わせる薬でもあります。
腸溶錠という設計思想

バイアスピリンは腸溶錠(フィルムコート錠)として設計されている。
胃の酸性環境(pH 1〜2)では容易に溶解し、直接の胃粘膜障害を引き起こす。腸溶コーティングにより崩壊を十二指腸〜小腸上部(pH 5〜6以上)まで遅延させることで、胃粘膜の局所刺激を軽減している。
ただしこの設計には代償がある。
腸溶錠は空腹時投与後のTmaxが約4時間と、普通錠の約0.4時間に比べ大幅に遅延する。
急性心筋梗塞や脳梗塞急性期に迅速な抗血小板作用の発現が必要な場面では、添付文書に従い錠剤をすりつぶすか噛み砕いて服用することで、腸溶コーティングを破壊して速やかな吸収を可能にする。ISIS-2試験でも初回投与は錠剤を砕くか噛み砕いて投与されている。

製剤的な工夫としてメタクリル酸コポリマーという素材を使って腸溶製剤としてのコーティングをしています。

バイエルはアダラートCR錠の二層放出核といい地味に良い製剤技術を持っておるのう。
主要な臨床試験:ISIS-2試験(1988年)
| 試験デザイン | 無作為化・プラセボ対照・2×2 factorial試験(Lancet 1988) |
| 対象(P) | 急性心筋梗塞が疑われる患者(症状発現から24時間以内、中央値5時間) |
| 介入(I) | アスピリン162.5mg/日(1ヵ月間)、ストレプトキナーゼ静注(1.5MU、1時間)、両者の組み合わせ |
| 対照(C) | プラセボ |
| 主要評価項目(O) | 5週間の血管死亡率 |
| 規模 | 16ヵ国・417病院・17,187例(1985年3月〜1987年12月) |
結果:アスピリン単独で血管死亡率を23%低下
アスピリン単独群の5週間血管死亡率は9.4%(804/8,587例)、プラセボ群は11.8%(1,016/8,600例)であり、オッズ比の減少は23%(2p<0.00001)と高度に有意であった。ストレプトキナーゼ単独も25%の死亡率低下を示したが、両者を組み合わせた群では42%という相加的な効果が得られた。
注目すべき点は、アスピリン群では脳出血の増加なく非致死性再梗塞と非致死性脳卒中が有意に減少したことである。ストレプトキナーゼが輸血を要する出血(0.5%対0.2%)や脳出血(0.1%対0.0%)の増加と引き換えに死亡率を下げたのに対し、アスピリンはそれらのリスク増大なしに同等レベルの死亡率低下を達成した。
15ヵ月後の追跡でも生存ベネフィットは維持されており、ISIS-2は抗血小板療法の礎を築いたランドマーク試験として現在も引用され続けている。

9.4%と11.8%ってそんなに違いが無さそう見えるのう。

比べてみると23%も違っています。この臨床試験だと無くなった患者さんは200人以上の差が出ています。

併用するともっと効果が出るというのは使い勝手が良いのう。

急性冠症候群ではクロピドグレルとの二剤併用抗血小板療法(DAPT)が標準治療になっていますね。抗凝固薬との併用より、同じ抗血小板薬と併用したほうが効果的という面白い特性を持っています。
スペイン風邪とアスピリン:歴史的過剰投与の教訓

アスピリンの歴史に刻まれた最も暗い章の一つが、1918〜1919年のスペイン風邪流行期における大量投与問題である。
1918年、米国外科総監・米海軍・JAMAはインフルエンザ治療としてアスピリンの積極的な投与を推奨した。当時処方されていた用量は1日8〜31.2gという現代基準では明らかに毒性域である。しかし当時の医師たちは、サリチル酸塩の非線形薬物動態(1960年代まで未解明)を知る術がなかった。
2009年、Karen StarkoはClinical Infectious Diseases誌に仮説論文を発表した。1918年の早期死亡例の剖検所見が「過度に湿潤で、ときに出血性の肺」という特徴を示しており、これがサリチル酸中毒による肺毒性(肺水腫・肺胞出血・粘液線毛クリアランス障害)のパターンと一致するという内容だ。
高用量サリチル酸は過換気と肺水腫を引き起こし、33%の症例で過換気、3%の症例で肺水腫が生じうる。米外科総監らが大量投与を推奨した10月直後に死亡のスパイクが生じたこと、剖検所見の一致、そして当時のアスピリンは1917年にバイエルの特許が切れて多数のメーカーが参入し服用量の記載も乏しかったこと——これら複数の証拠からStarkoは、スペイン風邪死者数の相当部分がアスピリン毒性によるものだった可能性を論じた。
これは確定した事実ではなく仮説であるが、用量依存的な薬物毒性を理解することの重要性、そして「広く普及している薬だから安全」という思い込みの危うさを示す歴史的教訓である。
なおStarko自身は1980年代にライ症候群の研究者としてアスピリンと小児インフルエンザの関係を研究しており、その経験がこの仮説提唱につながっている。

過ぎたるは猶及ばざるが如しじゃのう。

アスピリンに匹敵する偉大な薬アセトアミノフェンも大量に服用すると肝臓を壊します。

現代じゃとアセトアミノフェンは安心安全の薬のイメージがあるわけじゃが、どんな薬でも妄信してはいかんのう。
商標を失った薬:アスピリン

アスピリンという名は現在、日本では一般名として使用されているが、この状況はある意味で製薬史上類例のない経緯によって生じた。
1899年の発売以来、「Aspirin」はバイエルの登録商標であった。しかし第一次世界大戦が終結した1919年のヴェルサイユ条約により、英・米・仏・露においてアスピリンの商標がドイツから剥奪され一般名化した。
米国では1917年のバイエル特許失効に続き、1918年には米国政府が敵国財産としてバイエルの米国資産を差し押さえ、1919年3月には特許庁が「誤用」を理由に商標保護終了を宣言した。バイエルの米国における商標と社名は1919年にスターリング・プロダクツ社に530万ドルで売却された。
皮肉なことに、この一連の出来事こそが世界中への低コストなアスピリンの普及を可能にし、後のWHO必須医薬品収載(解熱鎮痛消炎薬として)につながった。現在も独・カナダ・メキシコなど80以上の国でAspirin™はバイエルの登録商標として保護されている。
バイアスピリン(Bayaspirin)という商品名は、「Bayer」と「Aspirin」を組み合わせたものであり、バイエルが商標を持ち続けている日本市場における自社製品としての差別化を図ったものである。

ヴェルサイユ条約って歴史の授業以来で初めて聞いたのう。

超高額な賠償金を課せられ、領土も削られ、アスピリンの権利も盗られました。

そのバイエルの恨みが、第二次世界大戦でIGファルベンとして毒薬製造へ・・・

危険な話はこの辺でお開きにしましょう。
アスピリンという薬の普遍性
バイアスピリンが体現するアスピリンは、製薬の歴史においてほとんど唯一無二の存在である。
柳の樹皮という天然物から出発し、合成化学によって磨き上げられ、戦争によって特許を奪われ、それでも一般名となって世界中に広まり、120年後には全く異なる適応で現役であり続ける。
COX-1のSer-530というただ一カ所を永久にアセチル化するだけのシンプルな機序が、核のない血小板の10日という命の長さと組み合わさることで、こうも長く、こうも深く、医療に貢献し続けている。
これから先、どれだけ新たな薬が誕生しようとバイアスピリンの重要性は全く揺るがない。
Q1. [難易度A] バイアスピリン錠100mgの販売会社として正しいのはどれか。


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